　会うは別れの始めと言うけれど、人と交わらない人生だってそれはそれで無常だと思う。
「あ、火遊び発見」
「学生じゃあるまいし、咎められる歳でもないだろ」
「ふふ、飛び火して火事になって放火扱いされなければね」
「怖いこと言うなって……」
　積み上げられたおがらを前に、隙間に詰められた藁の余りを前に、粛々と燃えゆく火に照らされた中で他愛のない会話を交わしていると、束の間の学生の日々が思い出された。恥ずべき人生というわけではない。赤の王はただ、真実を灯すことはなく、秘密を明るみにすることもなく、役割としての炎を燃やし続けている。今宵の主役は、今この時の時間軸を示してくれるのだった。
「送り火？」
「送り火」
　分かっていて聞いてくる、そういう流れだ。
　この通過儀礼を行う際には触れなければならない。そういう立ち位置だ。触れることはなくとも、意味を重ねなければならない。真逆の立ち位置というのなら、反転して重ねなければならない。
　そうやって、意味を持たせて遺棄する。そういう関係性だったのだ、ぼくと彼は。
「いーちゃんは誰を送るの？」
　これも予定調和だ。互いに理解している。
　瞳に赤を宿して問うてくる姿はまるで幻想だ。火の爆ぜる音が他人事のように遠ざかった。
　ぼくは少し考える素振りを見せてから答える。
「零崎人識」

＋＋＋

『明暗逆転？』
『そ。今から昼は夜で夜は昼。間違えたら死刑。はいよーいどん』
『待て待て待て死刑執行人が企画人たぁ不正行為の助長も甚だしいだろ。意義を申し立てる』
『人手不足なんだよ。僕の中に五人それっぽいのいるからいいだろ』
『お前の電波事情で納得させられてたまるか』
『じゃあ三回優位をあげまーす』
『三回？　優位？』
『三回までならお前の言葉に応じる。待て、でも良いし、次の手が左右どちらか、なんてのもアリ』
『戦闘終了』
『は、無理。戦闘中のみ有効ってやつだよ』
『そんなん使ったらなんか楽しんでるみたいだろ……』
『えっ楽しいだろ』
『どうして？　みたいな顔で見るな』
『ノリ悪いなーサービスしてやってるってのに』
『アホか、フェアじゃねえだろ』
『えええ、むしろ今までフェアだと思ってたのか？　ウケるー。フェアである必要がどこにある？　僕の強さにお前が並んだとして、そうして全力で心の底から腹の底からいのちの底から力を賭してやりあったとして、完全に燃え尽きたらそこにゃあ何も残らないだろ。殲滅するためならまだしも、これはそういうんじゃないからさぁ、遺物ありき、みたいな？』
『俺に優位を与えてお前の不利を買わせて、ンな後味の悪さが残るよかマシじゃねーの』
『ぎゃははは！　それ本気？　笑わせんなよぉ！』
『はぁ……なんでもいいや。制限時間は？』
『んー、一週間？』
『即決着が着くのも腹立たしいがそこまで長引くのも嫌だ』
『わがままな奴だな。んじゃあ六日で』
『あーもー、いーよそれで。で、ルールはなんだっけ？』

　　　＋＋＋

「明暗逆転？」
　ピーター・シェーファーの？　と返すと衝立の向こうからは「お、話が早いな」と上機嫌な声が飛んだ。
「消灯時と点灯時の舞台照明が逆転するんだっけ。停電シーンでは舞台照明が付いて、明るい室内を手探りで歩く役者が見られるっていう……聞いてる？」
　聞いてる聞いてる、という声はかろうじて聞こえるものの金属と硝子がぶつかるようながちゃがちゃとした音が忙しない。一分か二分か、その騒がしい音をＢＧＭにしていると、ふつりと音が止み、両手いっぱいの犯人を抱えた少年が漸く姿を現した。これを仕込んでおくんだよと楽しげに指に絡ませたのは金色のランプを纏った糸の束。電気回線に繋いだら、それはそれは華やかに光るだろう。少年はまだ世界と繋がっていないスイッチをかちりとオンにして、いかにも光が灯されたように明るく笑ってみせた。
「昔知り合いとやったゲームでさ、結構難しいんだよ」
「へえ。心理戦なんかとは違うし、なんていうか自分との闘いな気がするけど」
「そりゃあ見えないものを見えるふりをすることは簡単さ。想像で補えばいい。けど見えているものを見えないものとすることは殊の外難しい。もう知っている状態だからな。意図的に忘れることは、記憶するよりも困難だ」
「忘れる必要はないんじゃないのか？　存在を無視して進めればいい」
「無視はできないんだよ。そこには『在る』んだから。物量をゼロにはできない」
「厄介極まりない匂いがしてきたな。そのゲームをぼくときみの二人で仲良く侘しくやる理由は分からないが内容は理解した。要は明暗逆転のルールを破ったら負けってことか。期間は？」
「一週間」
「いやかかりすぎだろ」
「んじゃ六日で」
「いやそういう……まあなんでもいいけど。しかしなんで突然こんな損にも得にもならなそうな遊びを提案してきたわけ？」
「んー損にも得にもならなそうな遊びって実現可能なのかなと思って」
　損にも得にもならなそうに人を殺す殺人鬼が何を言うのか。
　主張を概ね通せた仕掛人はご満悦だ。ダイアモンドよりも稀少な鬼の好奇心を湧き立たせる光の角度の罪深さと言ったら。
「なあ、お前に優位権をやろうか」
　僅かに息を吐いたぼくのそれを、彼はため息と取ったようだった。零崎の手に在る、じきにゲームの舞台を彩ることとなる硝子の反射光は、この後暗闇に身を置くとは想像し難く、永久の物のようにさえ思えた。
「三回までぼくの言うこと聞くとかそんなんだろ」
「すげーなエスパーかよ」
「発想が安直なんだよ脳直殺人鬼」
「おうおううっかり脳直で殺しちまうかもしれねえから気を付けてくれや」
　かちり、かちり。ぼくは彼が開始のピストルを鳴らす時を待っていた。不通の伝導体のスイッチを操作し続ける彼の心が陸に戻ってくるのを。待ち望んでいたわけではない。けれど確実に彼は待っていた。サン・アントニオのように湿潤な気候の中、カーネリアンよりやや色濃く、トリプライトよりも少し淡い夕暮れの下、細くたなびく煙がたちのぼるその時を。
「死者の魂が帰ってくるつうけどさ、未練も何もない奴はいい迷惑だと思うんだよな。自殺した奴だっているわけだろ？　こっちの都合で勝手に迎えたってなあ？」
「殺人鬼に殺された人なんかはあるかもしれないだろ、未練」
　彼に言わせれば『損にも得にもならなそうな遊び』になってしまいそうな催しが一斉に開始されたその時、ゲームは始まっていた。煙が魂を絡めとり、明暗が、生死が逆転する。薄明るい夕陽が照らすその横顔を、今のぼくは暗闇で認知しなければならない。認知しなかったことにしなければならない。なるほど、容易でないことはたしかだった。
「『何かやり残したことはあるか？』って聞いてはいんぜ」
「代行でもするの」
「いや、建前上」
　彼曰く代行するならサービス料がかかるとのことだが、これから命を奪う相手に何を上乗せさせると言うのだろう。
「かはは、人生だよ。それで十分だろ。今まさに綴じられんとする人生の一端を冥土の土産に聞いておくのさ」
「道半ばで強制的に綴じるのはきみだし冥土に行くのはきみじゃないけどね」
「それでも何も遺さないよりはマシだろ」
「……きみは燃え尽きてなお遺したいものがあるってことか？」
「どうだかねぇ。遺したところで、それは『命が燃えているとき』に有効なものだろう？　炎が消えたあとに、果たしてそれは役割を持っているのか？　役立たずのレッテルを貼られないと言い切れるのか？　遺物として残ったものに意味が持たせられるのかは、意味を持たせて何になるのかは、今の俺にゃあ答えが出せねえ問題だぁな」
「ふうん、大変なんだな。じゃあ意味のないものを遺さないように、きみが死んだときにはぼくが送り火を焚いてあげるよ。この許可を優位権一回分でどうだい」
「いいけどそれゲーム期間過ぎたら無効になんぞ。意味なくね？」
「あー、この六日できみが死なないと無意味か」
「なるほどね、みたいな顔をやめろ。あの日のリベンジなら受けて立ってやってもいいぜ、優位権一回分だ」
「誘導させられてるみたいでちょっとな……。なあ、あと六日あるんだろ、この権利ちょっと保留にしてもいいか？」
「あと六日有効なんだからお前の好きにしたらいいさ」

　　　＋＋＋

「……あれ」
「どうしたの？」
「いや、なんか火が……」
　おがらはほとんど焼けてしまったはずなのに、赤黒い炎は未だじっとりと鎮座している。用意が面倒で焙烙は置いていなかったが、駐車場のコンクリートの上だ。付近に燃え広がるようなものは見当たらない。
「……」
送り出す対象がこの地を発てていないという暗示なのか、なんて。
（いや、或いは……）
　らしくもない非現実思想に至り、ふと口を噤んだぼくの台詞を代行するかのように、少女は黒髪を揺らして人差し指を顎に当てた。
「いーちゃんさあ」
「玖渚さんストップ」
「それ、迎え火になっちゃったんじゃない？」
「…………もう一度焚けば送り返せると思うか？」
　どうだろうねぇと返る言葉は無責任に愛らしい。
「消火人のつもりで焚いたのに、点灯人になっちゃったね」
「勘弁してくれ……」
　花期を過ぎた菖蒲の香りが記憶を遡るかのように凪ぐ。
　六日の勝負に使った優位権が七日目に意味を持たないことなんて、かつて手放した戯言が今この時に有効でないことを思えば、裁定人は黙して語らず。人生は至極簡単だ。

六日の菖蒲