［カウントダウンは定義ができない］

「カウントダウンってなんで3から始まるんだろうな」
「そりゃきみ、2だと急すぎて4だと縁起が悪いからだろ」
「その理由なら『4だと長すぎる』じゃねーの」
　統一性がねえなあと妙に細かい指摘をしてくる零崎は、だからと言って熱弁をふるうわけでもないようだった。
　そもそも3から始まるものだったろうか、5とか10とか、そのあたりが一般的だったような気もする。何を以てして一般的と言うのかと問われても恐らく答えられないので、特段何も返さなかったが。
　向かいから伸ばされた手の先、喫茶店のロゴマーク入りの皿にスコーンは5つあったはずだ。今目の前で持ち去られた3つ目でやっと意識したことを考えると、やはり「4では長すぎる」という理由は妥当なのかもしれない。意識なんて、いつだって角砂糖のように溶かされているようなものだけれど。
「第一、カウントダウンの意味ってなんなんだ？　ハイチーズ、の必要性は分かるが、分かり切った記念日を前にしてやる意味が分からねえな」
「場を盛り上げるためじゃないの」
「お前からそんな回答が出るたぁ……」
「別にぼくの意見じゃないよ、一般論」
「欠陥製品に一般論語られる世の中じゃあな」
「人間失格にそれを嘆かれる世の中じゃあね」
　大袈裟にため息をついてみせる零崎を横目に、ぼくは4つ目のスコーンをつまんだ。てめ、と恨みがましい声がぶつけられたが、どうせ金を出すのはぼくなのだ。チョコチップが溶けかかっているつややかなバタースコーンは、ぱさぱさとしていてあまり美味しいとは思えなかった。ふと零崎の手元に視線を向けてみると、並々注がれていたはずのアイスコーヒーは氷だけが残されており、早い段階で飲み干されたのだと知る。
　こいつよく飲み物なしで口の中の水分全部持っていかれるようなものを食べ続けられたな……。
「俺が思うに」
　と、案の定、小さく噎せた零崎が一度言葉を切った。
「言葉の排出、手伝おうか」
「あー、遠慮しとく。分業制にして質が落ちたらたまんねーわ」
　そう言ってもひとつ咳払い。
「あー、お姉さん、カフェラテ一つ」
　コストが嵩むのは良いのか。
　先のラーメンの値段をぼくは覚えていなかったが、これでチャラということにしてしまおう。貸しを作るのは悪くないが、繋がりを残しておくのはあまり本意ではない。運ばれてきたカフェラテにガムシロを流し込みながら「お前、手持ちある？」とのたもうた能天気な殺人鬼のすねをひとつ蹴り飛ばした。
「俺が思うに、準備期間なんだろうよ」
「心の準備ってこと？」
「そ、ご丁寧に心構えの時間をくれてやってんのさ」
「でもたとえばきみが人を殺すとき、ご丁寧に心構えの時間をくれてやるのか？」
　殺して解して並べて揃えて晒してやる、さん、に、いち。
　そんな馬鹿な。
「お前は？」
「え？」
「お前ならいくつから始めて、何でそれをすると思う？」
「うーん……、それこそ目的に寄るんだろうけどさ、たとえば期待を込めたカウントダウンや、あるタイミングに至るまでのカウントダウンでない、『相手の反応を待っている時間』のためだとしたら、5くらい欲しいんじゃないかな」
「それこそ心構えと同じだろ。『このカウントダウンが終われば、こちらはアクションを起こす』……ってな」
　成る程。そう考えてみれば記念日への向かうカウントも、シャッターが下りるまでのカウントも、エンターキーが押されるまでの事前通達であり、心構えには違いない。
「行くか」
「うん」
　事前通達のない、気の抜けた炭酸のような合図。
　ぼくらの間に未来への期待値はない。そういう意味では、カウントダウンとは無償の優しさなのかもしれない。
　皿にはスコーンが残されている。

［至らずの引力］

「3って嫌いなんだよねー」
「『玖』渚、の、９の約数じゃないか」
「それを言ったら全数値は1の倍数になるから僕様ちゃんは前言を取り消さなければならないのです」
「ならないのか」
「ならないのです」
　春が遅い年だった。
　桜は四月になっても実になることを良しとせず、若葉はその煽りを受けて外界を覗き見ることすら叶わない。
　夏が待ち遠しいというわけでもないのだけれど、来るべきものが来ないというのもなんだか落ち着かない。人間の身体というものは、意識しないだけで随分と情緒纏綿的に作られているようだった。
　どうやら「3」の目立つ解析データの処理（残念ながらぼくにそれ以上深いことは分からない）に飽きてきたらしい玖渚は、ぼくの右肩によりかかっていた背中にさらに体重をかけてみせた。伸びきった腕の先では霰のような音が轟いている。あのキーボードは何代目だろうか。
「霰……いや、雹かな」
「なあに外は異常気象？」
「おまえにとっちゃ快晴だって異常気象だろ」
「にゃはー蛍光灯が一番だよね」
　引きこもりめ。
　本当は今日来た理由だって、雨不足の空がにくらしいほどに軽やかで、勘ぐってしまうほどにじっとりと重たく、彼女の深淵の青を思い出したからだったのだが、そのことは言わないでいた。なぜならドアを開けた電子の海の果て、本物は上質な錆のような色をしていて、実に上品だった。それだのに、当人はひどく無頓着で、一日に一度、それを鏡で見ることも、化粧棚から櫛を取り出すこともしないでいた。そのかわりに、瞳を大きく開けて、ぼくの意識を吸い寄せていた。だから今日来た理由だって、玖渚に呼ばれたからに他ならないのだ、結果的には。
「ちなみになんで1の倍数はオッケーなんだ？」
「おっそ！　今聞くのおっそーい！」
　がーん！と衝撃をそのまま口にしながら玖渚が勢いよくひっくり返った。今度は霰が止んだ。キーボードを離れた手はそのままふかふかのベッド兼ソファーに沈み、跳ねて、その細い肢体が起き上がる勢いになったようだった。
　勢いで起き上がった少女はしかし、勢いではなく冷静に出力した言葉でぼくを吸い寄せる。
「いーちゃんの1でしょ」
「……」
「玖渚友は、いーちゃんが根本に在るものを嫌いなるわけがないんだよ」
「でも1って言ったら倍数どころじゃない、最小の整数、物事の基準単位にだってなりうるものだし、ぼくが根本だなんておこがましいにもほどがあるよ」
「だとしても間違ってはないんだけどねー。それよりいーちゃん、僕様ちゃんは動いたらお腹が減ったよ」
「はいはい」
　そんな会話をしたのはいつだったか。
　ぼくは現実逃避を諦め、素直に思った――暑い、と。
　夏が先走った年だった。清流にシロップを垂らしたような天気。ぼくは立ち止まってとりあえず息を吸い込んでみた。思いっきり。まるで数年間地下に閉じ込められでもしていたかのように。死人のような人間に風を送り続けていた青嵐は、ひとつの大きな運命のように、甲斐甲斐しく、そして親身になった。この嵐の名前を、ぼくは知っていた。
「なあぼく」
「なんだよ俺」
「きみ、好きな数字ってあるか？」
「とりあえず1は嫌いかな」
「……」
「1は好きじゃねえ」
　念を押された。
「ぼくも零は嫌いだ……と言いたいところだけどね。案外そうでもないのさ」
「あーあー想像つくぜ、零は無だとでも言うんだろ。分かってきたぜ」
　お前の鏡も板に付いてきた、と、零崎は謎の自信に満ちている。
「いや、きみっぽいじゃん、零。きみっぽいということはぼくっぽいじゃん。ぼく、ぼくが大好きだからさ」
「ぼくぼくって読経でも始めんのかと思ったぜ、夏の蜃気楼を気取るにはちっとばかり清潔さが足りねえなァ」
「少し汚濁してるくらいがいいのさ。気取ったところで見えるのは背の低いろくでなしって考えるとね」
「純度を下げるのなら任せろよ。生鮮な鉄を一瞬で俗物に変える手っ取り早い方法を手取り足取り教えちゃる」
「そのご自慢の手足を言葉で絡め取られないようにするんだね」
「絡め取る糸が在庫切れにならないことを願っておくぜ」
　夏の嵐は鉄のにおいでも錆のにおいでも生肉のにおいでもない、涼やかな潮のにおいがした。
　生きているなぁ、と、移りゆく季節を場違いに惜しんだ。

［ジョバンニの懺悔］

　病院という場所に縁がなかった。
　というのも、単純に変わった世界の隅に生きていたからであって、怪我自体はそこそこしていた。ほぼ、身内の手によるものだったけれど。
「落ち着かないよね」
　かくしてそこは病院だった。
「慣れてるから良いってもんでもなくてさ。気をつけないと引きずられるから厄介なんだよ」
「空気にか？」
「それもあるけど。壊れても許される誘惑に」
「……」
「ぼくは、簡単に、楽にはなれない」
「へえ」
　一音一音噛みしめるかのような返しを、そんな風に軽く流す。自分は罪人なのだから、それ相応の報いを受けながら生きるべきだ。
　そんな罪の意識に苛まれる人生はどうなのかという問いに対する答えは簡単だ。
「そりゃあ楽だもんな」
「……」
「加害者が被害者面するより、被害者が加害者面するより、加害者が加害者面するのが一番楽だろ。それ以上も以下もない。なあ欠陥、すべて背負い込む生き方は楽だよなァ」
　ああ、俺ってばお人よし。
　きっと百万人が思っても言わなかったことを懇切丁寧に本人にご説明申し上げております。良い奴過ぎるよな、拍手喝采スタンディングオベーション叙勲授与。根暗の懺悔なんて聞いてて面白いもんでもないから、とっとと捨て置けばいいのに。なーんてことは百も承知だったのだけれど。
「きみだってそうだろう」
　ほら。そうやって同等の加害者を無意識に探す。
　友達無くすって。
　ああ、いや。
　いないんだっけね。
（人生楽しく生きろよ、被害者サン）
　毒づいて罵って、それでも隣に腰を落ち着けてしまう自分のお人よし加減にまた、辟易して。同じ生き物だと自分に諭そうとしている。だけれど相手は既に歩き始めていて、半ばやけくそのような、諦めのような感情。反撃をしてみろよ、強がって諦めて悲しみの中で、せめて同情より硬く手強いもんを見つけてみろよ。これから歩く道の上にはでこぼこと星が出っぱっていて、まっすぐに歩けるくらいにするにはシャベルでは足りないだろうか。
　惑星ひとつ壊して、銀河の神様に頭を下げて、そうして均した道に、果たして未来が続いていると信じられるのなら。
「死ぬんだろう、生きるんだろう、さぁ頑張れよ。俺は可哀想なお前の味方だ」
　トンネルに残響してるのは同意を求めた声。
　似た者同士だと信じてた。
　信じて嘘を売り歩いていたのに足音はさっさか進んでしまうんだから、まったく世知辛いよなぁ欠陥と俺は笑った。

［カンパネルラの心臓］

　零崎人識の心臓は鉱物で出来ている。
　そこに温度はない。正確には、それを確かめる術はない。
　研磨されていない、絶対零度の岩石の波間に埋もれるようにしてなお、彼は主張を続けている。
　ただ、急いで切り分けたケーキみたいにいびつな多面体にも、相性というものは存在するらしい。
　その煌めきは、裸同然だというのに、彼に対峙するものすべてを見定めるように端然としていた。
「っく、しょい！」
「風邪？」
「あー、かも。花粉飛んでねえよな」
「今は冬だ」
「じゃあ風邪だ」
「気を付けてよ」
　零崎がうんと頷く。
　うっすらと雪の積もる電光掲示板はマイナス五度を示している。異常気象ではない、そう、冬だ。暖冬がそっぽを向いた今、茫然とその事実だけが凍みる。
「血が凍っちまいそうだぜ」
　そう言って身体を抱きしめる手は真っ赤になっている。
　そうなりゃもう死んでるよ、と告げても零崎は楽しそうに肩を揺らすだけだった。
「心まで凍りそう」
「あっためてあげようか」
「お前で暖が取れるかよ冷酷人間」
　ひどいな、とたいして残念でもないふうに告げると「おまえ低体温症っぽいよな」と少し見当違いな答えが返ってきた。
「悪かねえと思うぜ」
「死ぬのが？」
「凍るのが」
　思わず零崎を見る。目は合わない。現実と空想の仲人をする殺人鬼が笑うたびに、大量の吐息が放り出されていた。
　湯気みたいだ。流れ出る血液からたちのぼり、一瞬にして夜に溶けた光景はいつの記憶だろうか。
　ぼくの脳内映像を裏切って、零崎の口からは次から次へともやが飛び出していった。
「だって、血が固まったら鉱物になるだろ？」
「ん？　うん。うん？」
「酸素が凝固剤」
　再度振り返るぼくをよそに、その目は真っ赤に燃えていた。
「きれーだよなぁ」
　それは何に対する感嘆だったのか。鉱石のような目で、鉱石のような冷たい心を宿しながらそんなことを言うものだから、おかしくて仕方がない。
　いずれ鉱石となるその血が巡る心臓は、きっと、赤い緑柱石で出来ているのだろう。
「プルースタイトとパイラルガイライトの中間くらいの色してる」と言ったら、賢者の石かよ、と笑い飛ばされた。
　ああ、血が煮えたぎっているなぁ、と、遠ざかる彼のひそやかな夢を偲んだ。

［ひかりの夜を見ていた］

　朝の五時、空は薄暗かった。
　冷え切った空気はその場の人間の体温を引きずり込んでどうにか暖を取ろうとしているに違いない。巻き込まれまいとカーテンを閉める。息をひそめていなければならないような気がして、込み上げる欠伸をひとつ、ふたつ、噛み殺す。揺れた手元、結露が端に付き、淡い色の布を重たくした。朝の五時、それを嘆く存在は見当たらなかった。
　どん、と内臓に振動が走った。表通りの一本向こうに隣接する高架橋から、コンクリートづてに地鳴りが伝わってくる。今しがた閉めたカーテンを数センチ持ち上げて、時速数百キロで通過していく車体を一つずつ確認してゆく。グレーのムーヴキャンバス、やけにつややかなタント、派手な音を撒き散らしていたヴォクシー、見慣れたツアー会社の観光バス、見慣れないツアー会社の観光バス。星のコーヒーでございます。そんな声が時速二十キロほどで割り込んできたので、ぼくは数えるのをやめた。待ち人は来ない。
　前々から今日ここへ来よう、と決めていたわけではない。行くのも悪くないかな、とぼんやり考えたことだけは覚えている。数日前、『御予約の確認』という見覚えのないタイトルの、見覚えのある店からのメールを受信ボックスから見つけたときには、何も成長してねえ、と思ったものだった。記憶力の悪さも、たとえ未来の自分が忘れても悪いほうには流れないだろうという雑な信頼も。自分自身への信頼。そんなものを抱けるようになったことに関しては、成長したのかな、とも思えた。
　その店は一部界隈では有名でなかなか予約が取れない。からりとドアにかけられたベルが鳴る。かつかつとヒールの広い靴特有の足音が響く。連れが遅れてくることは告げてある。五席しかない狭い店内だ、ぼく以外の席はすべて埋まっている。足音は数秒止み（先に来ているぼくのことを告げ・告げられていたのだろう）、そして再開する。かつ、かつ。もったいぶるような、舐るような、いやらしい歩き方をする奴だな、と思った。わざとらしくつま先の裏で、たん、と床を打って、こちらの意識を引き寄せてからサングラスを外してみせた。耳元で少しひっかかったようだが、後ろで束ねている髪がやや崩れた程度、気にも留めない。いかついサングラスがなくなったことで異質さが際立った刺青が楽しそうに歪み、視線は垂直に落ちる。月が空気を薙いだ。それが、今から一年前の五月十三日――の、数日後の、零崎人識の姿だった。
　一年なんて一瞬だ。どどん、内臓への振動がぼくの意識を引き戻す。
　時刻は六時半。遮光ではないカーテンから光が押し寄せていた。コーヒーのおかわりをやんわりと断ってから、温度を失ったそれを流し込む。有名で、なかなかお目にかかれないブランドだと言うのに、まるで泥水でも飲んでいるような気分だった。二時間制なんです、お連れ様、遅いですね。気遣っているようにも、皮肉のようにも聞こえるやさしい声だった。当然だろう、ぼくが予約したことで満席になり、蹴った予約の人もいるはずだ。今日ここへ来られなかったその人は、いつか予約のメールを受け取り、この振動を体感するのだろうか。結局一杯分のコーヒーの代金を払ってぼくは店を後にした。席を無駄にしてしまったことを詫びると、またのお越しをお待ちしております、という、ややちぐはぐした言葉が返ってきた。
　表の車通りは増え、一台一台確認するには目まぐるしすぎるほどに世界は賑わっていた。空は明るかった。目を閉じても陽は皓々と地球を照らし、あまりの眩しさに瞼のカーテンを下ろした。夜を内包した朝みたいなあの男と待ち合わせた日、ナイフや言葉を持たずして何かを得ようとした一枚の鏡は、音と光に塗れた場所では作用しなかった。鏡として作用しないのなら、それはただの衝立だった。光を遮る、障害物でしかなかった。
　あの日、零崎を待っていた朝の空。あれは、夜の続きだったのだ。焼けつく赤い月も、無に帰す青い水平線も、橙色の美しい孤独も、すべて通過した夜だった。そうして今もなお、ぼくは繰り返される夜の中にいた。
　ひかりの夜を見ていた。あいつは夜眠れているのだろうかと他愛のないことを考えた。

無題

「遅咲きと早咲き、どっちが得だと思う？」
　零崎がそんな話題を切り出してきたのは冬と春の境目の3月。西国では開花報告があがり始め、かと思えば北国では雪原の写真が投稿される、そんな曖昧な季節。
「得も何も……早いか遅いかで結果的に咲くものの価値は変わらないだろ」
「どうかねぇ、だって桜っちゃあ一応名物だろ？　卒業式、入学式、文字通り季節行事の華になるべくして咲いてくる存在なわけだ」
　別に桜は人間の行事に華を添えるために咲くわけではないと思うが。
「桜の気持ちは置いておく」
「桜に謝れ」
　まあ桜の効果かどうかはさておき、たしかに春先の大学構内は浮かれていた。けれどその浮かれた空間に桜が寄り添っていたかと言うと疑問が残る。大学なんて高校生の延長線上が四分の一だ。春の宵とともに浮かれ具合が覚めるにはどのみち少し時間がかかるだろう。
「……ん、でも待ってくれよ。ぼく大学に入ってから桜を見た記憶があまり無い」
「お前の記憶力で説かれても」
「失礼な奴だな、流石のぼくでも人生の節目の季節くらい覚えているさ」
「うわっ白々しい、雑節の一つも祝ったことなさそうな顔しといて」
「この顔は生まれつきだ」
　未だに端午の節句が似合いそうな童顔は胡乱げな表情で冷めた缶コーヒーを振った。無邪気な幼顔も、横を向いて仕舞えば温度がぐっと凝縮されるのだから分からない。
「京都ってさぁ、早咲きなんじゃねえの？」
　と、零崎は当初の議題へと旋回する。
「三月って早咲きか？　沖縄の一月くらいのことを言うんじゃないのか？」
「でも東北は四月だろ？」
「そうなの？」
「おお、遅けりゃ五月だぜ」
　端午の節句と被っちまうな、と、単語のチョイスに既視感。
「催事に間に合わない桜を無価値だと思う？」
「催事への付加価値が消えたとは思うかな」
「なんだか手厳しいなぁ。桜に恨みでもあるのか？」
「いや別に。まったく。一ミリも。嫌な思い出も何もない」
「……」
　彼が入学式や卒業式をどの地で迎えたのかは知るところではないが、桜に付随して思い出される記憶は苦々しさを孕んでいるようだった。話題に挙げたことでまたその味が呼び起こされたのか、零崎はコーヒーをぐいと煽った。苦味で上書きするのかと思いきや、缶には加糖の文字がはっきりと印字されている。
「それで？　なんでまた桜の話題？」
「んにゃ、お前と顔突き合わせて雑談してるこの日に桜が綺麗なのがなぁんか嫌だなと思って。これじゃ俺の中で今日がお前と花見を楽しんだ日になっちまう」
「良いだろ親友、心に刻んでくれよ」
「ほざけや、お前は即刻忘れるくせに」
「それこそ桜に酔ったってことで」
「かはは、傑作にゃあ届かねえな」

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