　　　死者たるは。

「式に参列してきたんだ」
　久々と言うほどでもない夕暮れ時の邂逅で、落ち合うなり奴はそう言った。何となく会うつもりではいたが待ち合わせていたわけでもないので、邂逅で間違いでもないだろう。境内の裏、若葉の葉が燦々と光を浴びている様子を視界に入れつつ、挨拶とばかりに目線を送った。
「葬式？」
「挙式」
　俺は指を鳴らした。
　誰も死ななかったか、と冗談めいた言葉をかけると、君の想像通りじゃないかな、という曖昧な返事が帰ってきた。俺も別段掘り下げた問いを返さなかったのでその話は終わった。
　誰の挙式なんだか、結局俺の想像が良いものなのか悪いものであるのかは知るところでは無い。
　花嫁のブーケなら受け取ったことあるぜ、兄貴が。と何とはなしに言ってみたが何も生じず。へえ良いお嫁さんになれるねと至極適当な一言が返ってきただけだった。
「人はどうして誰かの前で誓わずには居られないのかな」
　ニスの剥がれた縁側に腰を下ろしながら奴は言った。
　一瞬目を細めて小さく息を吐く動作が納得の行かない時の癖だと知ったのはつい最近。
「証人が欲しいんじゃねえの？」
「解せないな。それが『結婚する』みたいな他人の介入を許し難くするものであれば肯けなくも無いけど。『死ぬ』ことに対する儀礼は？死を経てなお人は証を求めるってのか？」
「結局、人は年を重ねていけば何らかの儀式を行う運命にあるわけだろ。同じ通過儀礼としちゃ結婚式も葬式も変わんねえよ」
　珍しく閉口したと思ったらどうやら含み笑い。こりゃあ式で五人くらい死んだか。人差し指をつけつつ離しつつトントンと床を叩いてみせると、後ろについていた手を持ち上げ自嘲気味な表情とともに同じようにリズムを作ってきた。
「人の人生ぶったぎる殺人鬼から運命なんて言葉を聞くとはね」
「うっせ。『死』は概念だが『死者』は存在するだろうよ。考えても見ろ。死んだ人間に何で話しかける？何で身を清める？何で、死後のことを心配する？」
「死者は死後の世界に行く。つまり『死んでから生きる』ってことかい」
　冥界ってあるね、ギリシャ神話だっけと惚けたので、ドラクエじゃねと根拠のない返答を飛ばした。
「今の慣習はかけ離れてるみたいだけどな。儀礼を行って『死は不浄で穢れたものだ』とすることによって、死が重要かつ重大なものであると再確認していた。死を忌み嫌い遠ざけてるってよりは、儀礼上そうすることで日常生活から峻別するって感じだな」
「ふうん、なるほどね」
「ただし、だ。死者の儀礼に必要なのはなんだと思う？」
「知るかよ」
「おい間違ってもいいから答えろよ。会話が成立しねーだろ」
「きみって本当面倒臭いなあ……。あー……宗教概念に基づいた準備とか」
「はっずれー」
「……」
「あっオイそういう目は止めろ友達減るぞ。まーいいや、必要なのは『見送る側』と『見送られる側』さ。死者ひとりだって冥界には行けるだろうよ。しかし誰がそれを感じ取れる？黄泉の国についたらお手紙下さい～ってか？残された側、すなわち『見送る側』はそれを実感したいんだよ。死者を尤もらしい死者に仕立て上げることで『人を死なす』ことが出来たと顧慮する」
「その論説をそのまま飲み込むと、人は死んでも移住するだけで、死とは無に帰すことはできない、とも取れるよ」
「生と死は隣り合わせ、って言うだろ？」
「誰がうまいことを言えと」
「かはは」
　床で躍らせていたリズムを止めて心の臓とその反対の位置を一度ずつ拳で叩くと、奴もそれを真似て胸を叩いた。ポーカーフェイスな表情からはやはり何も伺えない。
　そしてかまいたちのような風が吹き抜けたかと思うと、初めて顔をこちらに向けた。
「じゃあきみも死んだら冥界で家族仲良くやるのかい」
「まさか」
　その言葉を諌めるように肩を竦める。
「身体を残して死ぬようなヘマはしないさ」
　指のリズムを再開させて笑ってやった。
　空気は冷え始めている。
　我ながらさっきの軽口は言いえて妙だと思い、日が落ちてもなおヒグラシの声がひしめき合う境内で、あたかもひとりで考え事をしにきたような気持ちで感慨に耽っていた。

　　　通り風

「よ」
「……」
「なんだその顔は」
「いや……蜃気楼って室内でも発生するんだっけかと思って」
　蜃気楼って砂漠とかじゃねえのと返したのはあざみのように爽やかな笑顔。
無造作に束ねられた髪はまた色が増えただろうか、暑苦しい黒いコートは相変わらずで、ゴツいサングラスにハーフフィンガーグローブ、底の厚い革紐ブーツにあちこちにはためくスカーフという、無駄としか言いようのないオプションをごまんと付け少年は颯爽と現れた。言葉で説明するのは楽だが、そのファッションは形容しがたい。
　蜃気楼って音はあるんだっけ、そもそも幻と何が違うんだとぼんやり呟くと、一緒だろと花束と同時に叩きつけられた。
　……花束？
　いやいやそんなまさか。
　ぼくはよっぽどドン引いた顔をしていたのだろうか(あとから聞いたら「眠そうだった」と言われた。心外だ。) 胡乱気な表情の零崎にその理由を顎で示すと、どうやら花束はぼく宛てではなかったらしく、向かいの老齢の女性患者に捧げられた模様。
　成る程、あの場違いな服も芸術片手に、淑女を前に恭しく跪けば絵になるのかと知る。
　ふいと反対側に目を向けると、空を出すまいとするように雲が目まぐるしく移動していた。
　雲を掴んでみたいのだと目を輝かせて言った姫ちゃんにその実態を説明してやると酷く驚いていたことを思い出した。病衣を纏ったように白い彼ら(性別を意識してではなく集団としての個を意識したつもりだ)は、どれほど形が異なっていようとも「異なる個」とは認知されないのだろうか。そもそもが細かすぎる個の集合体なのだから、結局は個性など見初められないのだろうか。
　昔見た映画で大量のクローン人間が生産され、兵器としてだけ扱われ破棄されるという末路を辿っていたが、同じものである利点など使い捨てが利くくらいしか思いつかない。
　代替品だ。同じものがいくつ集まろうが、ひとつ壊れたら、隣の予備品が作用するだけなのだ。
「病院にいると不思議なんだよ。ぼくは使い捨て品なのに、なんで直されてるのかな、ってね」
「そりゃお前、お前が『欠陥製品』だからだろ」
　窓際で缶コーヒーを啜っていた零崎が尤もな返事をした。
「……正に然り、そのとおりだね。君に指摘されるなんて、ぼくも焼きが回ったかな」
「口は回るんじゃねーか」
　手渡されたホットコーヒーの匂いを吸い込んでから、ゆっくりと喉奥に流し込む。
　コーヒー特有の苦味は感じられず、変わりに口いっぱいに広がった。吐きそうに甘ったるい味に眉をひそめると、夏あざみがおかしそうに笑った。

　　　うら若き乙女のカーテシー

　物心ついた頃から夏は苦手だった。
　多分物心つく前も苦手だったのだろう。夏が苦手だから、暑苦しいタイプの人間が苦手なのかもしれない。かと言って冷徹な人間が好きというわけでもないのだが。
　例年より半月ほど遅れて鳴き出した蝉達が最期の宴とばかりに声を張り上げ、さあ機は熟したと稲作畑では蛙が大合唱を始めた。加えて今年はこの猛暑である。三十度超えなんてなんのその。二十九度が涼しく感じる昨今の気温はおかしい。
　今朝なんて庭で伴天連爺さんと崩子ちゃんが水浴びしていた。昨今の風景はおかしい。（注釈を加えると水着の上に服を着ていて近くには萌太くんもいた）
　とりあえずこの暑さに耐えるためには、もう一段階肌の細胞を強化した人間を生み出すべきなのだ。
　こう、劣化と劣化を組み合わせたらある一端においてのみ特化した人間が生まれるとかそういうんで良い。というかいい加減そういったものも出てこないと劣化側は端に積み重ねられる一方なのだが。
　世界は出来ない人間に対してとことん冷たい。
「そう思わないかい零崎の異端児くん」
「知らねーよ俺が知るかよ」
「人がこの口も開きたくないような暑さの中なんとか気を紛らわせようと話しかけてるんだから協力しろよ」
「矛盾してんじゃねえか。だいたいなんで遺伝関係の話を俺に振るんだよ当て付けか嫌みかプールに突き落とすぞ狂犬病」
「はは、回るじゃないか、口」
「うるせえ」
　ばしゃんと突っ込まれた手が濁った水を不意にかきあげた。
　正直数年はまともに清掃をしていないだろうプールなので止めて欲しい。
　そんな場所に何故ぼくら二人座りこんでいるのかと言うと、今から約三時間ほど前に遡らねばならない。
　相変わらず死体と宜しくやっていた零崎が次のターゲットに決めて延々追い回していた人物が実はぼくであり（以前より髪が伸びていたのである）途中で気付いたものの振り返るに振り返れない殺意が出来上がっていたため為すすべもなく、ぼくは黙々と行き止まりまで歩いたのであった。
　さあ僕様ちゃん殺されちゃうぞー！というところであれなんだお前欠陥じゃんとあっさり看破され、だったらもっと早く気付けよ短足死ねと心の中で罵れば、いやなんかお前っぽい雰囲気の女だから殺そうと思った、とからりと向日葵を弾けさせた笑みを向けられやっぱり死ねと再度思い直した。
　ここまでが前半である。むしろプロローグである。
　というかこの後の展開を踏まえるなら、記憶に残らないレベルの話だ。ファミレスで言うならお冷やのような存在だ。居酒屋で例えるならお通しである。
最近は下手な商品よりお通しのほうがおいしかったりもするのだが。
　話を戻そう。
　この場にこのタイミングで現れたのがそう、我らが人類最強の請負人である。零崎がぶすくれている理由もなんとなく想像はつくと思うので、展開は割愛する。
　ぼくらの名誉のためにとは言わないのでぼくらの基本的人権のために、しいては享有権のためにひとつ聞かないでもらえると有り難い。
　人の子だろうが鬼の子だろうが、鬼は怖いのである。
「で、哀川さんにこてんぱんにのされた上、不殺を破った罰として廃墟番とは零崎の名が泣くね」
「マジで泣きてーよ……だいたい廃墟って廃されたから廃墟なんだろ番も何もねーだろうがよ……くそ……」
　おや。これはだいぶヘコんでいるようだ。
　ちなみに水辺にいるのは他所に比べ涼しいと思ったからだ。結果的に炎天下と相まってどっこいだったが。
　日が傾き始めてもなお、照りつける日差しは強い姿勢を変えないようだった。若葉が作ってくれていた僅かな日陰でさえ既にぬるく、涼しいとは言い難い。
　ぼくはぐるりと首を巡らせ、プールの西側に位置する本館の外観を見渡した。
　元は赤神財閥が所持するところにあったという十八世紀イギリスの流行を模した洋館は、古びた中にもどこか気品を感じる。現在は土地の所有権以外は放棄しているらしい。
　しかし見張りを定期的につけているあたり、何かしら事情があるのかと勝手な想像を巡らせていた。
　金持ちのすることは見当がつかない。
　暑さがぼくに囁いた。
「零崎、ひとつ話をしよう」
「あん？」
「ぼくがこないだ玖渚と行った天才達の島の話だ」
「ああ、メイドやら占い師やらがいたってとこだろ」
「そこのお嬢様は面白いことが好きでね。天才を集めるなんてことからも察せられると思うけど」
　メイド長と入れ替わり、反応を窺いながら遊んでいるお嬢様。
　退屈が嫌いな島流しのお嬢様、赤神イリア。
　オデットを殺した妹殺しの姉、赤神イリア。
「華やかで楽しいことが好きだったイリアさんとは真逆で、妹のオデットさんは大人しく口数も少ない方だったそうだよ。人も疎らな郊外に屋敷を構えて、部屋にもお付きの侍女くらいしか寄せ付けなかったとか」
「はあん。まあ性格違う姉妹なんざ珍しくもねえだろ。それともあれか？その姉妹も入れ替わってたオチか？」
「え？　いやそれは無いと思うけど……」
　思わず考えこんでしまうぼく。
いや……この期に及んでそれは無いよな。
……ないよな？うん。
「赤神イリアと赤神オデットは姉妹だった。でもイリアさんが本家から絶縁される前から、二人は別々の地で暮らしていた。両親は当主だ。勿論交流など中々無かっただろうね。だからオデット嬢は一人だった。イリアさんにとっての玲さんのような存在はいたかもしれない。けれど心を開いたとは――あまり思えないな」
「その心は？」
「似た者同士の勘」
「似た者同士ねえ……？　お嬢様に失礼じゃねえ？」
「否定はしないよ……。零崎、イリアとオデット、と聞いて何か聞き覚えはないかい」
「ギリシャ詩か」
「そう、ホメロスの叙事詩だ。『オデュッセイア』は『イーリアス』の続編と言われている。その内容は、英雄オデュッセイアが親探しの旅に出るんだよ」
　横に置いてあったペットボトルの中身をゆっくりと嚥下する。
　もはや常温を通り越しホットになってしまったお茶の味に小さく眉を潜めた。
「聞いたところによるとね、四神一鏡ほどの財閥系にもなると、お墓事情も酷く拘るらしいよ。当主の骨は分骨を許されず代々の墓地に収められ、その家族の骨は、少しでも他の血が認められたならば、純正な血でないのならば、隣接すら許されないと」
「差別じゃん」
「お貴族事情だろ」
　他人事とばかりにうそぶく。
　実際他人事なのでこうもドライな受け答えなのだろうが。
「イリアさんとオデット嬢は母親が違う」
「ちなみに赤神オデットは」
「庶子だよ」
　察した零崎の顔がひきつっていた。
「本当に親を探して彷徨ってるってのかよ……」
「それについてはぼくがどうこう言える現象じゃないけどね」
「じゃあ――ここは赤神オデットの館だった、ってのか……？」
「ついでに今日はオデット嬢の命日だったりするのだよワトソン君」
「……ありがとうホームズ」
　完全に腰が引けている殺人鬼だった。
　随分と情けないんじゃないのと言うと、お前の巡り合わせが気持ち悪過ぎるんだよと言われた。返す言葉も無い。
　哀川さんがぼくらを捕まえたのも偶然ではなく、何らかの理由をつけて連れてくるつもりだったのだろう、最初から。
　――そういう人だ。寂しく死んだ人を、そのままにしておけない性分なのだ。
　たとえその対象がいけ好かない占い師でも、憎むべき仇でも、接点の無い孤独死した人でも。そういう人なのだ。
　赤神オデットは、不遇の少女だった。
　姉に殺され、愛していたかもわからないその唯一の姉妹は絶縁され、短い生涯を生きた地は徐々に廃れ始めた。
　あの世で誰かに縋ろうとも、庶子である以上本家の墓に入ることは出来ず、両親に会うことすら出来ず、ひとり彷徨うしかない霊魂を慰める存在が必要だった。
　――他でもない今日、彼女の命日。
　唯一それが、可能だった。
「だが姉のほうは妹殺したのが原因で絶縁されたんだろ？」
「ああ」
「だったら死んで何の処置も施されねえってのはあんまりなんじゃねえの？妹なんだろ」
「妹だから、だよ。この場合」
「……」
「君のほうがよく知ってるんじゃないのかな。そっちの世界における、生まれた順の重要さを」
「……順番なんざ自分じゃ選べねえってのに」
　不憫だよなあと、血縁を重んじない一賊の末弟は呟いた。
　文字通り魂で繋がっているような零崎一賊としては、思うところあるのだろうか。
　日を追うと暮れ時。哀川さんとの約束ももうすぐ切れる。
　お開きだとばかりに、ぼくは立ち上がった。
「ぼくは行くけど。君は」
「あーもう少しいるかな」
「ふうん。感傷的になった？」
「そんなんじゃねーよ。面倒な性格の上を持つ身としてはこういう話に感じるとこあんだよ。ナイーブなの。断じて変態兄貴の行動の数々を思い出したからちょっと落ち込んだとかそういうわけではない。断じてだ」
「しょぼ……」
「解すぞ」
　幾分涼しくなった風に煽られる斑髪をぼんやりと視界にいれながら口を開いたら、じゃあ、と気の抜けた声が出た。
「神様の気でも向いたら、また遭おうか」
「ダッセエ別れ文句」
「やっぱりぼくらにはこれかね。ばいばいセリヌンティウス」
「ちゃんと走れよメロス」
「どうかな。次会うまでには死んでおいてね」
「お前は死ぬなよ。殺してやるから」
「考えておくよ」
　そうしてぼくらを隔てる扉は再び閉ざされる。

夏を食む境内の魔物