「――まあ、そういうわけで、死んだんです。僕の妹も。兄さんは相変わらずドライで、悲しんでるのか悲しんでないのかよく分かりませんが……あの人は昔から顔には出ないから、どうなんでしょうね。実際。そちらの妹は双子でしたね、そういえば。里子だから似てはいなかったけど、会うたび雰囲気だけはそっくりになっていって。ああほら、僕らがぶつかった次の集会で初めて会ったんでしたっけ。くす、くす、思い出すと笑っちゃいますねえ、僕がとって食うとでも思ったのか必死で背中に隠してて、あの殺し屋らしからぬ足運びは大道芸人みたいでしたよ、全く――」

　生没年の他には何も刻まれていない墓標をゆるりとなぞる。
　墓地群は想像以上の殺風景さで、真っ赤な椿の花束は予想外に目立った。（それにしたって墓誌くらい立ててやりゃあいいのにと思ったものの、耳塚や共同墓地ではないだけマシな部類なのだろうか）
　極力人目を控えよという兄の言葉を思い出し軽く後悔しかけたが、墨染めの羽織も持たず、いつもの身なりで家を出た時点で、存外守る気も無かったのかもしれない。
　それよりも吹き抜ける春風が黄砂を伴って攻撃をしかけてくるので、目を潰されないよう瞼を落とさなければならなかった。
　先に本家へと出向いた兄はというと、黒羽二重の長着に染め抜き五つ紋付き羽織、袴も精好仙台平と、涙が出るほど礼儀に礼儀を重ねた第一礼装を身に纏って家を出た。律儀なものだ。
　椀を持ったまま見送りに出た玄関先、「五月にそれは暑いんじゃないですか。どうですか羽織は脱いでも」と皮肉まじりな言葉を背中へ投げかけると、振り向きもせずにならば墓標でも立てておけとのたもうた。あの兄が冗談を言うとは珍しい。（あまり冗談には聞こえないのだが）
　兄とは別方向に歩き出したその目的は、墓参りである。最後に来たのは三年前だったか。記憶とさほど相違無い風景を通り過ぎながら、歩道を歩く自分に軽く違和感を覚えざるを得なかった。

　彼は親友だった。
　親友というものが何を基準に定義づけされているのかは正直知るところでは無いが、気の置けない仲であったことには違いない。
　当時まだ見習いですらなかった頃。血とかお家柄とか、諭されて幼心ながらに理解はしていたものの納得していたわけでは無い。何せ数え年で六つ。表世界でいったら初等学校入学と遊びたい盛りの年齢だし、早くも大人の顔入りを果たしている兄と同じ性格とは言えない自分にとって毎日の鍛錬は「不本意ながら」と言うほかない。
　家同士は歩けば1日かかる距離だが、分家が集会場代わりにしていた道場ではその姿を頻繁に見かける程度だ。
　出会いは、最悪。
　雑技団にとって同じ顔は珍しくもなんともないが、かといって容易に見分けが付くというものでもなく（それでも自分と兄のような違う性格の場合は随分と分かり易いと思うのだが、まあ子供にはそう大差なく見えたのかもしれない）。
　話しかける度に名を間違える彼に先に痺れを切らしたのは自分だった。
　だって名前は唯一だ。流石に状況をわきまえてはいたので蹴ったり殴ったりという行為には及ばなかったが、唾を吐きかけんばかりの勢いで、まだ声変わりを迎えていない声で低く罵倒した。
　早蕨の名を貶されたとか、兄妹を悪く言われたとか、そういうことで目くじら立てることはとうに諦めていた。
　そういう世界なのだ、実力で見返してやるしかないのだ、ということくらい分かっていた。兄の態度からもひしひしと伝わってきたし、口で弁明するよりもそれが確実なのは誰の目にも明らかだ。
　しかし、分家の身にとって名前というのはウェイトが違う。苗字は本家から与えられるが、名前とて襲名制だ。この名を持つ者は、自分が生きている限りこの世に唯一無二。かつ、自分からこの名を取ったなら、そこに残るのは一分家としてのさしたる価値も無いただの駒。
　殺気立たせた理由をうだうだと述べる自分に、兄はにべもない。
　目を眇めただけで、無言で座敷牢へと放りこんだ。
『だってにいさん、悔しくないんですか』
『悔しいと思えるその頭に感謝しろ。最悪海の藻屑だ。お前は』
『にいさん！』
　思わず言葉を遮った。兄が何を言いたいのかなんて分かっている。だからこそ『お前は個人で存在しているわけはない』などと改めて聴きたくは無かった。
　三日後何事も無かったかのように牢から出された自分を待っていたのはいつもの鍛錬とお小言。変わったのは、投獄中に格子窓から謝罪をしてきた少年と、小さな密会が約束されたことだった。

　墓標を撫でていた手を下ろすと、反対の手に持っていた花束を無造作に投げた。反動で、ぼろり、と花が茎から外れる。首を傾けた花から花弁がぱらぱらと剥がれ、再び吹いた春風が掠め取っていった。
　生命力のある椿を選んできたつもりだったが、忌み花と呼ばれるだけあって墓所の空気でも読むのだろうか。
　呆気なく絶たれる様子がまるであの時のようだと喉を鳴らした。

　密会と言っても集会時に隙を見て道場裏に移動し、とりとめのない話をするだけ。幼少期に始まったそれは、年を重ねるにつれて任務後の気晴らしになっていった。口数の少ない兄であるがゆえに、気兼ねなく冗談を叩きあえる存在というのは有り難いものだ。
　それは向こうにとっても同じだったようで、兄一人妹二人という自分と似た環境にいる彼もまた、この時間を価値あるものと捉えてくれているらしかった。武術の心得もあった互いにとって、さっぱりとした心地よい関係。
　しかしそのまま仲良しごっこで終わらないのが、悲しきかな暴力世界。
『――が、潰された』
『え』
『例の大戦争経由のようだ。他にも2家が被害にあった。対処に努めよとの連絡が入った』
『潰されたって……全滅した、ってこと、ですか』
『……お前にも任務が下った』
『……――っ、これ！』
『……良いか、本家からの命だ。紙面の通り、【窮地にて家を捨てて逃亡した』
『兄さん！』
『――次男を始末せよ】……俺も明後日には出る』
　今度は不聞を許してもらえなかった。
　にいさんのひとでなし、と記憶が逆光したような感覚で呟く。人としての情念などとうに捨てた、と同じ声が耳に落ちた。鬼になることすら拒否した兄を、いっそ恨めしく思えたら楽なのに。下唇の痛みが麻痺してきたところで、重い腰を上げる。例え納得がいかずとも、従わぬ道理は無い。当主候補とされている兄の気苦労を知らぬわけでは無いのだから。

　重たい足を引きずりながら飛び回った結果、案外簡単に見つかった。
　道場からそう遠くない山の中腰、洞の中。諦めたように、覚ったように、空虚を見つめていた。
　掴みかからんばかりの衝動を抑えることが出来ないままに、どうして、何故、と繰り返す自分に目を向けると、どうせ殺せと達しが出たんだろうと清々しいまでの笑顔を向けられる。
　薄汚れた着流しから見える腕がゆっくりと伸ばされ、額を小突いた。竹刀を握り汗に塗れていたその手は、恐ろしく骨ばっていて冷たい。
　誰の手だ、これは。
　若干怖気づいた。いや、明らかに右足が後ろへ下がりたがっている。詰め寄る姿勢を崩しかけて、軽く首を振る。
　兄の背中が、ちらついた。
『……どうして逃げたんです』
『　　　　　』
『妹がいましたよね』
『　　　　』
『……そう』
「妹がいた」のに「見捨てた」。
「妹が殺された」のに「逃げた」。
　この点だけが、自分と彼を隔てるどうしようもない理由になったのかもしれない。
　ぽつぽつと言葉を交わしたのち、じゃあ、と握り慣れた薙刀を振り上げた。
　ああ、と彼が頷く。
　また明日、同じ場所で。
　何度口にしたか分からない別れ際の決まり文句を彼が口にした。
　その時の自分の感情を、薙真は覚えていない。
　若草色の着流しから、血を纏った首がゆっくりとスライドしてゆく。流れ出る血が黒く変色するまで其処に佇んでいた。流れが止まる。支えを失ってくずおれた身体がぎこちなく硬直し始める。
　早蕨薙真の刎頚の友は、ここに停止した。

「あ、お帰りなさい兄さん。首尾はどうでしたか？」
「恙無く」
「そりゃー良かった。ご飯先に頂いてますよ」
「……」
「？　どうしたんです階段で止まって。着替えたらどうです？」
「……無事済んだのか」
「ん？　ああ、やっぱり誰のだか気付いてましたか。ええ、久しぶりに花を手向けて来ましたよ。除名された奴って本当に墓碑銘無いんですね。把握するのに結構手間取っちまいました」
「……」
「柄にもなく昔話もしてきましたよ。兄さんの失敗談とか兄さんの恥ずかしい話とか」
「……結局あれは俺と口を聞く事は無かった筈だが。弓矢の一件が原因で行ったと見て取れるが――弓矢の死が手前の言う仕儀に立ち至るのならば、近い将来殺し名との対立も避けられまい。ともすればあ奴の件は早急に打ち捨てるべきだ」
「兄さんなんだかよく喋りますねえ」
「……」
「僕が引き摺ってるとでも？　まさか」
　これは心配されているのだろうか、それとも不安要素は出来るだけ絶ち切っておきたい兄の癖だろうか。
　なんにせよ今日は珍しい面ばかりを見るなあと思いつつ、表情一つ変えない兄に向き直り朗らかに笑った。
「だってもう顔も思い出せませんよ」

死んで果実が咲くものか